Searching for the Young Soul Rebels

音楽、映画の話題を中心に、自身が経験した病や離婚について、はたまた離れて暮らす息子のことなど、徒然なるままに書いていきます。

僕が親権をあきらめたワケ -2-

前回記事(僕が親権をあきらめたワケ -1-)の続きを書きます。

うつ病で仕事を休み、家族とも別居した僕は、とりあえず借りていた家を離れ実家に戻ることにした。といっても歩いて10分くらいしか離れてはいない場所だ。家族の思い出の染み込んだ町。そこで引き続き僕は生きていた。体調がとても悪い時間が続いていたので、外出するのもままならなかった。唯一、心の拠り所になっていたのはTwitterであった。現実世界の友達も心配や同情はしてくれるが、病気のことや離婚や別居の苦しみを真に理解してくれるわけではなかった。親でさえそうだった。僕が母に病気を打ち明けた時、彼女が最初に言った言葉は「やめてよ!私だって苦しんでるんだから!」というものだった。苦しくて寝込んでいると、舌打ちされながら「なに寝転んでるの!しっかりしなさい!」と叱咤された。もちろん母なりに心配をしてくれていたのだろうが、僕の辛さをわかってくれる人はリアルには存在しなかった。しかし。ネット上にはたくさんいた。同じような病気で苦しんでる人。働けなくなって会社を休んでいる人。辞めた人。離婚問題に苦しんでいる人。離婚経験者。彼らの存在は僕にはとても大きかったように思う。彼らの辛さも理解できたし、僕の辛さもわかってくれた。

なかでも、僕にとって一番気になった人たちは、いわゆる「親子断絶に苦しんでいる人」だった。離婚して子供と離れ離れになり、会うこともままならずにいる人たち。そんな人たちがとてつもなく多いことも知った。僕にとって他人事ではなかった。明日は我が身。彼らの多くは離婚問題の争いで疲れ果て、そしてさらに子供と会えない辛さなどで心を病んでいる人も多かった。いったいなぜこんなことがおこるのだろう? なぜ真っ当な親子が自由に会えないんだろう? ここは2010年代の日本だぜ?

 

調べれば調べるほど、この国の離婚制度、親権制度に疑問を持つようになった。欧米先進諸国は離婚後も父母が親権を分けて持つ共同親権の形をとっていた。お隣の韓国でさえも。離婚後も責任をもって子育てにあたる、という観点。子供にとっては永遠に父母であるという観点。それを考えると至極まっとうな制度であると思った。しかし、この日本では古来から続く単独親権制度のままだった。欧米に比べ「家」を重んじる文化をもつ日本にとって、共同親権になると面倒な問題が出てくることも理解できる。夫婦別姓の問題もこのへんがネックなんだろう。でも、子供の成長は待ったなしだ。現実に制度のせいで離れ離れになっている、断絶している親子がたくさんいるのに、いつまで古いしがらみにとらわれるのだろう? 「共同親権になんてなったら役所が混乱して大変!」なんていう意見を僕に送ってくる人もいた。は? 役所のための制度なの? あくまで子供を守るための制度にしなくちゃダメでしょう。「共同親権反対!」と叫ぶ某国会議員もいた。抗議のツイートをしたこともあった。すぐに「勉強不足でした」なんて謝罪してきた。はぁ。正直、バカばかりで閉口した。みんな離婚するなんて、子供と会えなくなるなんて想像しないから。当事者たちがどれだけ苦しんでいても、この国は知らんぷり。そこから僕は共同親権になるためにこれからの人生、自分にできることは協力していこうと誓った。そう、共同親権制度があれば、僕は元妻と争うことはなにもないのだ。

その頃に書いた文章があるので長いけど転載する。

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私は共同親権推進派です。1月16日には渋谷で大規模な集会がありますので、息子の写真を持参して参加してこようと思っています。世界各国からマスコミも集まるそうなので、ニュースになるかもしれません。なぜ世界各国が注目するのか?それは、今や日本を除くほぼすべての先進国は共同親権・共同監護の国だからです。お隣の韓国や中国でさえも法律が変わりました。子の福祉という視点に立った時に、離婚後の単独親権はこの国の大きな負の財産です。ハーグ条約批准に応じない先進国も日本だけで、そのため国際結婚した後、子どもを日本に連れ帰り片親に会わせない拉致まがいの事例もたくさんあり、各国では「日本は北朝鮮と同じ拉致国家だ」という認識をされています。また、引き離された片親が絶望のあまり、うつ病などにかかり自殺した例も数多く聞きます。はたして、この制度に未来はあるのでしょうか?子の福祉についての世界的な潮流をみたときに、「親権を争う」という行為自体・発想自体がすでに時代遅れのものと言えるでしょう。また、幼児虐待、引きこもり、うつ病、自殺、いじめ…など、蔓延する社会問題の根っこにあるのも、この単独親権制度であるといっても言い過ぎではありません。私のネット上の友人多くが離婚後、不当な親子引き離しにあい、子どもに会わせてもらえないで、裁判を起こしたり、絶望感から精神的な病にかかったりしている例はたくさんあります。彼らは口をそろえて言います。「共同親権制度に移行する前に離婚してはいけない」と。親が不幸な目に合うこともありますが、いちばん不幸なのは子どもたちです。両親の離婚後、片親の再婚相手である血の繋がっていない他人に暴力をふるわれたり、「女性は男性によって変化する」という言葉があるように、母であった女性がひとりの女に変化してしまい、育児放棄や実子に暴力をふるう事件も数多くあります。その結果、子の成長に大きな影響を与え、引きこもりや学校でのイジメ、また子どもの精神疾患などに繋がります。このような現状のなか、世界的な流れを受けて、日本でもやっと国会等で共同親権に関する討議が行われるなど、法律改正への動きを見せ始めています。大阪府議会では、橋下知事(当時)が「(離婚後も)原則、共同親権で、子どもはしっかりと両親が育てるべきだ」と述べ、海外で広がっている共同親権制に法改正すべきとの見解を示しました。昨年12月には公明党内に「共同親権を検討するチーム」が発足し、そのリーダーである大口衆議院議員に私もさっそくメールで陳情をしたところです。また、公明党は庶民の声を国政に生かせる数少ない政党ですので、知り合いの市議会議員に日本の実情を話し、彼を通じて国政につなげてもらおうとコンタクトをとりました。また、新しく就任した民主党江田五月法務大臣(当時)は自身のメルマガで、「チルドレンファーストの考え方にたち、単独親権制度を見直す議論が必要」とはっきり明言しています。なかでも私がいちばん期待を寄せているのは、自民党の馳浩議員を中心とした超党派の議員たちが、今年度の通常国会で議員立法化しようとしている「親子の交流断絶の防止に関する法律(法案)」です。その概要はこうです。

子どもが両親から愛情と養育を受け続けること等が子どもの健全な発達にとって好ましいことから、離婚や別居によって親子の関係が断絶することがないよう、親子の交流継続を確保するための手続き等を定める法律。

■1■子どもの連れ去りの禁止

両親の一方が、もう一方の親の同意なく、子どもを連れ去ることを禁止する。同意なく子どもを連れ去った場合には、まずは、子どもを元の住居に戻し、その上で、早急に、両親間で子どもの養育をどうすべきか話し合うこととする。

■2■親子の引き離しの禁止

児童虐待防止の観点からも、両親の一方が子どもと離れている場合、必ず、その親と子どもが、2週間に1度(趣旨は定期的という意味)は、泊まりがけで会えることとする。

■3■子どもの養育に関する取り決めの作成義務化(共同養育計画の義務化)

両親が別居又は離婚する場合には、子どもの養育方法(①子どもをどちらの親が主として養育(=養育親)するか、②養育親でない親と子どもがどの程度の頻度で会うか、③養育親でない親が子どもの養育費をどの程度支払うかなど)についての取り決めをする。どちらの親が養育すべきかを決定する際には、友好的な親(=FRIENDLY PARENT RULE:もう一方の親に、より多くの頻度で子どもに会わせることを約束する親)に子どもを養育させることとする。

画期的なことはなく、子どもの福祉先進国では当たり前のことが並んでいます。ただ、ここ日本では、FRIENDLY PARENT RULEなどは画期的ではないでしょうか。日本では「3歳神話」「母親神話」が強く、現実的にほとんど母親が養育していることが多いです。しかし、このルールに倣えば、「子どものことを第一に考え、別居親にも誠実に対応し、またより積極的に親子を会わせようとする親の方」が養育親になります。DVでっちあげなどで親子引き離しに加担する自称・人権派の悪徳弁護士には恐怖となるルールかもしれません。このように立法・行政の場において、共同親権・共同養育の実現に向けて、少しずつ歩んでいっていると感じています。トム・ヨークはその昔、「個人の内面の問題はすべて社会的な問題でもある。だから悪いのは君じゃない」という名言を残しています。いま私が抱えている内面の悩み、離婚、親権問題、うつ病…それは個人の問題ではなく社会の問題である。ということを改めて思いだしました。自分の悩みを解決させるには、社会を変えていかないといけないということ。そうしないと自分の病気も治りませんし、単独親権の被害で苦しんでいる私の友人たち、そして不当に引き離されている子どもたちの幸福もないでしょう。私のこれからの人生のライフワークとして、この国の共同親権・共同監護、子どもとの面接交渉の法制化に取り組んでいくべきだと決意をしました。

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そう、この頃はまだ、共同親権が実現しない限り離婚はしないと思っていた。時は2011年の初頭。まだあの激しい揺れが来る少し前のことだ。  

ということで、次回に続きます。