挫折したことがないかのように笑え~息子の9回目の誕生日に寄せて
まもなく3月23日になる。遠く離れて暮らす息子の9回目の誕生日だ。この9年間、父にも母にもこの国にも、本当に大変なことがおきた。そして恐らくは君にも…。2015年末には父の大好きだった祖母も息を引き取った。人はあっけなく死ぬ。そして死んだら何も語れない。現在、2016年3月17日、父は37歳。ひとりの部屋から君にメッセージを残す。いつ死んでもいいように。
君が生まれた日のことは、こちらのエントリーを辿ってくれ。良く晴れた初春の日差しを今でも覚えている。安直かもしれないが、君の名前に「希」の字を入れたのは、父母にとって希望の存在だったからだ。君のいるこの世界はたしかに輝いて見えたから。
君はいつしか歩けるようになり、話せるようになり、文字を読めるようになり、書けるようにもなった。届いた手紙の宛名が全部、漢字だったとき父の喜びようは大きかった。それを希望と言わずしてなんと言えば?大人になんてならないでほしい。でもすくすく成長してほしい。この相反する気持ち、君にもいつかわかる日が来るかもしれない。
今日は、父が読んだばかりの物語の話をしたい。高浜寛「サッドガール」という漫画だ。主人公の女は、睡眠薬の過剰摂取で自殺未遂、運よく助かるがアル中の夫から逃げるように各地を転々としていく。そして、とことん堕ちてゆく。ホームレス生活も経験する。支えになるはずの家族は、カルトにはまっている。また逃げる。そしてやがて死んでしまう。この作品を暗く重いと表現する人がいるかもしれない。でもね、これが生きることなんだ。辛い話かもしれないけど、世界はそんなに楽しいものではない。美しいものでもない。父が37年生きてきて思うことだ。だからこそ、君に「希」の字を与えた。こんな世界でも、輝く瞬間はあるから。そしてできるならば、君がその輝きを他者に与えられる存在になってほしい。
「サッドガール」の話に戻そう。物語の結末はちょっと意外だ。いつか君自身の目でそれを確かめてほしい。そこで語られる、こんな言葉の意味を深く考えてほしい。
生きていこう。まるで一度も挫折したことがないかのように
そうやって決心しても、人はすぐに挫折しそうになるもの。事実、物語でもそれがうまく描かれている。もちろん、一度も挫折しない人間なんていない。むしろ日々、挫折の連続だ。だからこそ笑うんだよ。あとがきで高浜寛自身はこう書いている。
辛い中にもユーモアを持って、昔の話を、どうよ暗過ぎて笑えるでしょと、笑って話せる日がきっと来るから
挫折なんてしたことがないかのように生きて、挫折なんてしたことがないかのように笑ってみなさい。それだけが、この世界を強く生き抜くコツみたいなものだから。父もそうして生きている。生きていく。9歳になった君がこれを読むことはないだろう。もっと大きくなり、挫折も何度か経験し、そしてこのブログの存在を知り、いつか読んでくれたら幸いだ。
とにもかくにも、誕生日おめでとう。君がいまいくつで、どこで読んでいるのかわからない。でも、いつまでも君を愛している。